知覧特攻平和会館を訪れて -命と向き合う時間‐

先日、鹿児島県にある知覧特攻平和会館を訪れました。
知覧平和記念会館では、特攻で戦死された方々が出撃する前に残した遺書や特攻の歴史等が展示されており、とても見ごたえがある展示となっていました。
60分から90分ほどの目安所要時間とされていましたが、見ごたえがありすぎて2時間でも足りないくらいでした。
訪問のきっかけ
私が「知覧特攻平和会館」という場所を知ったのは、永松茂久さんの著書『20代を無駄に生きるな』がきっかけでした。
この本の中に「国のために命を捧げることに対し、怒りを表す人はおらず、愛や思いやりにあふれた内容」と書かれてありました。
本を読んで以来、「実際に遺書を自分の目で見て確かめたい」と思うようになり、今回、ようやく訪れることができました。
勇ましさと、覚悟の裏にある葛藤
遺書や特攻隊同志で書き合った日の丸の寄せ書きには、勇ましい言葉が多く書いてありました。
20歳前後の若者達が自分の死を覚悟した上でそれらの言葉を書いてると思うと、やるせない気持ちになりました。
特攻隊の方々の当時の精神状態はどんなものだったのだろうか。「人間バクダン」として敵の艦隊にめがけて突っ込んでゆく。弱気になっていたら絶対に特攻なんてすることはできない思います。自分自身を無理やりにでも奮い立たせていた状態だったのでしょうか。
印象深かった遺書 – 穴澤大尉と久野中佐 –
中でも心に残ったのが、穴澤利夫大尉と久野正信中佐の遺書です。
穴澤大尉は、婚約者・智恵子さんへ向けた遺書の中に。感謝や箇条書きのメッセージ、自分の読みたい本・映画のリストまで綴っていました。
そこには、「まだ生きていたい」という気持ちが滲み出ていて、胸が苦しくなりました。
久野中佐の遺書は、2人のお子さんへカタカナで書かれていました。
当時は学校でカタカナを最初に習う時代。だからこそ、少しでも早く、自分の言葉が子どもに届くようにという父の優しさと愛を感じました。
今を生きる私たちにとっての「当たり前」
戦時中の状況を思うと今の日本は、本当に恵まれた環境になっています。
- 志願制とはいえ特攻で自ら死を選ぶ状況になることは決してない
- 今まで飢えに苦しんだことは一度もない
- 自分の好きなことをすることができ、やりたいことに挑戦できる
今、過ごせている何気ない日々は当たり前ではないということを感じました。
映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』から学んだ視点
知覧特攻平和会館の訪問後、より特攻への理解を深めたくて観た映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』を見ました。
この映画の中で、水上恒司さん演じる特攻隊員・あきらが語る言葉が、新たな視点を与えてくれました。
「もし日本が負けてしまったら、男は殺されるか、奴隷のような扱いを受けるかもしれない。女、子供だって何をされるかわからない。」
私たちは戦後の平和を知っているからこそ「負けても結果的に大丈夫だった」と思ってしまいます。当たり前のことですが、当時のあきらたちが知ってるはずがありません。
知覧特攻平和会館に行ってから、「特攻隊の人は日本が負けそうだとわかっているのに、なぜ自分の命をかけて特攻をしたのか」ずっと引っかかっていましたが、このセリフを聞いて大事な視点が抜け落ちてたと思いました。
もし負けたら、家族がどうなるかわからない。「愛する人を守りたい」という思いが、命を懸ける覚悟を生んだことにも、深く納得できました。
クラウスのひとりごと
当たり前の日常が送れていることに感謝の気持ちを持ち、自分の命の使い方をしっかりと考えていきたいです。